「消費」以外のお金の使い方を知ると人生の幅が広がる話
お金持ちになれるのならなりたい。
ではお金持ちになったら何をしようか。
高級な家に住み、ブランド物を身につけ、高いレストランでごはんを食べる。
お金を消費して得られるモノやサービスはたくさんあって、それはそれで楽しいけれど、そこから得られる幸福感は慣れという魔物によって2回目以降如実に下がっていく。
生きるために必要なお金は絶対にあったほうがいいけれど、年収と幸福感の相関関係は、年収800万円くらいで頭打ちだとも言う。
お金は良い物やサービスを買う、という以外に素敵な使い方はないのだろうか。
私はお金には、消費以外に2つの使い方があると思っているので、自分の考えの整理がてら、ここに書いてみる。
1つは、価値を買うのではなく、価値を創り出す活動にお金を使うこと。投資と言っても良いのだけれど、ここで言いたいのは株を買ってお金を増やそう、みたいなこととはちょっと違う。
これは特に自分で会社を起こしてから強く感じるようになったのだけれど、自分のアイデアを形にする活動にお金を投じる。そういうお金の使い方を覚えると、人生、末長く楽しめる。
消費で得られる喜びは一瞬のピークを残して過ぎ去るけれど、自分にしか生み出せない価値を育てていく活動は、ロングジャーニーで、10年単位で楽しめる。
私は消費を中心とした活動のみで人生を楽しむには、人生はちょっと長すぎるのではないかと思っている。自分にしか生み出せない価値を世の中に創造する。消費ではなく、世の中に供給する活動があってこそ、社会参加の実感や生きる意味が得られて、充実感が得られるのだと思う。
そしてこの活動はうまくいくと、お金を使ったはずが、なぜか増えて戻ってくることが多い。
私はいま、「起業」を「自分にしか生み出せない価値を世の中に創り出す活動」の1つとして例にあげたけれど、結局のところ、一番尊敬に値する活動は、子育てではないかとも思う。
自分がいなかったら生まれなかったもの。
それを育み、世の中に送り出していく。
こういった創造的な営みにお金を使い、楽しむことを覚えると、人生はちょっと短すぎるのかもしれない。
もう1つのお金の使い方。
それはただただ、持っているだけで人生の選択肢が広がるという、お守り効果。
お金によって制限される人生の選択肢は本当に多い。それなりに裕福な家庭だと、気づかないまま大人になることも多いけれど、スポーツを続けられるか、大学に行けるか、どこに就職するか、結婚するか、子供を持つか、子供にどんな環境を与えられるか。
また起業の話で申し訳ないが、誘われて起業するときも、コンサル時代に謎に溜め込んだお金があったから、「まあ1年くらい役員報酬なくても問題ないし、楽しそうだしいっちょやるか」と腰を上げたという側面もあった。
お金を持っているだけで、シンプルに人生でとりうるリスク許容度が上がる。
お金によってチャレンジできる権利すら狭まる、無くなるというのは、それは正しい社会なのか、という論点はあるけれど、現実問題、いまはそうなっていると思う。
お金は持っているだけで、諦めなくていい選択肢が増える。それはとても偉大なことだと思う。
(察しの良い読者はお気づきと思うが、2つ目の価値は、「創造的活動にお金を使う」という話に対して、どんな「創造的活動」が選択可能か、そして、「その創造的活動にどんな投資を行えるか」というサブ論点的な構造になっており、同じ粒度の話になってはいない。ちょっとキモい論理構造になったなと書きながら思ったが、わかりやすさとメッセージ性優先で、ここは創造的スルー(?)をすることとした)
話をまとめると、
・お金を消費してモノやサービスを楽しむだけだと、長い人生、飽きがきてしまうと思う
・消費活動ではなく、創造的活動、自分にしか生み出せない価値を育て、世に送り出す、そんな活動のためにお金を使うことを覚えると、長く楽しめる
・それは例えば起業だったり、子育てだったり…etc
・どんな創造的活動にチャレンジするか、という選択肢の幅を持ち、適切なタイミングでリスクを取るためにも、お守りのようにお金は持っておくとよい
価値を消費するためでなく、価値を創り出すためにお金を使えるようになると、人生はずっと楽しくなるのでは?という、そんなお話でした。